伊賀 朋子さん
大阪大学大学院 医学研究科
耳鼻咽喉科・頭頸部外科 医師
プロフィール
2003年卒業、75回生。2009年関西医科大学医学部医学科を卒業し、耳鼻咽喉科医として外来から病棟業務、手術など幅広く従事。医者としての経験を積み重ねるうちに「めまい」について関心を持ち、2014年より大阪大学大学院に進学。現在、「めまい」の研究に取り組みながら一児の母として育児にも奮闘する毎日を送っている。
学校全体のアットホームな雰囲気にふれ、
その暖かい環境が入学のきっかけでした。
もともと近所のキリスト教の幼稚園に通っており、お祈りする習慣がついていました。
人を思いやる優しい心をもった子に育てたいと願っていた母は、友人の小林聖心卒業生の方の勧めでバザーの見学にいき、そこで生き生きと働く生徒の姿、かわいい手作りの手芸品の数々、母親も父親も参加して学校全体で一致団結して行事に取り組むアットホームな雰囲気にふれ、娘をぜひこのような暖かい環境の中で学ばせたいと思ったそうです。
入学した当初は、小林駅から続く長い坂道を6年生の優しいお姉さんが手をひいて歩いてくださったのを覚えています。1学年44人でしたが担任の先生はとてもよく目をかけてくださって、楽しい学校生活で電車通学も苦になりませんでした。
他者を思いやる心は小学校からのさまざまな行事や奉仕活動から培われます。おにぎり募金、銀杏募金、釜ヶ崎へとどけるマフラーや帽子を編んだり、災害が起こればその地を想い祈りをささげたり、募金や物資援助など奉仕活動を行いました。「お金があるから募金する」ではなく、なにか自分が我慢をしたり、犠牲をはらって他者を思いやる精神を学ぶのです。
入学式 友達と一緒に正門前で記念撮影。
入学後初めての参観日での一枚。
少し緊張している様です。
「自分を見つめて自分らしく表現する」
女子校ならではの環境で育まれました。
小学校からランドセルを背負って阪急電車にのり、毎日坂道を上って通いました。
四季折々の美しい姿を見せる坂道は、あるときは一人で考え事をしながら、あるときは友人と話しながら歩いた、本当に思い出の詰まった道です。少人数で上下の学年ともよく交流がありました。
多感な時期に、女子はこうあるべき、といった男性からの目を気にせず、自分をみつめて自分らしく表現することができるのが女子校ならではの環境ではないでしょうか。
さまざまな場で活躍する友人たちには今でも刺激を受けていますし、困ったときには助け合うことのできる貴重な存在です。
体育行事では学年対抗で中1から高3まで、全6学年で争います。それぞれ本気で勝ちにいくために綿密に準備をし、練習し、横断幕や応援歌までつくって熱い戦いが繰り広げられます。上の学年を負かして優勝したときにはみんなで泣いて喜んだのは良い思い出です。
バザーや学院祭も女子しかいないので、力仕事もみんなでやります。机やボードも運ぶのが当たり前でした。
高校3年間グリークラブでミサの聖歌隊をさせていただき、荘厳な空気感の中で響く歌声のハーモニーが大好きでした。今でも年に1度クリスマスイブのミサにいくとなつかしくハレルヤを大合唱します。
体育祭で優勝後、友人達と一緒に。
今でも刺激し合える友人達です。
英語に触れる機会や
自分を表現する場が数多くありました。
小学校から英語の授業があり、中学に入ると普段の英語の授業以外にEnglish Day、暗唱大会、スピーチコンテストなど、英語に自然とふれる機会をたくさんいただきました。ネイティブの方と話していても発音をほめていただくことが多いのは小林聖心の教育のおかげだと思っています。卒業後は医学生が集まる英語弁論大会で3位入賞し、関西医科大学学長賞をいただくことができました。
英語ももちろんですが、思い返せば自分を表現する場が多かったように思います。生徒会の選挙のときの演説から、弁論大会まで、何かと全校生徒の前で話す機会も多かったですが、それ以外にも、どの生徒も朝礼でマイクをもってお祈りをする当番があります。今、世界で起こっているニュースに目を向けて、自分で調べたことをまとめてお祈りするのです。自発的に物事を発信するとても良い機会でした。
今もプレゼンテーションをする機会が多々ありますが、小林聖心での体験が非常に役に立っています。
高校1年の時に校外の英語のスピーチコンテストに応募した際には、複数の先生方に原稿の作成から細かい発音やイントネーション、表現の仕方まで毎日のように昼休み、放課後も時間をみつけて、つきっきりで教えていただいたことは強く印象に残っています。本番前には朝礼で全校生徒の前でリハーサルをさせていただき、おかげで本番の会場は小さく感じられ、落ち着いて良い結果を出すことができました。このように挑戦したい、という意欲があれば全力でサポートしていただける環境は非常に有難かったです。
英語のスピーチコンテストで入賞したときの写真。先生方の熱意ある指導のおかげです。
今の仕事につくきっかけは中学3年の
ホームステイと大先輩の講演でした。
もともと耳鼻科医であった父の背中を身近に感じていたこともありますが、人の役に立つ仕事をしたい、と強く願うようになり、進路を悩みました。教科の中では英語が好きだったので、何か英語を使った職業も考えました。中学3年でホームステイした先のお父様が肝臓移植の医師で、オーストラリアで手術を受けた患者さんを年に数回日本に来て診察したり、日本と交流の深い方だったことにも刺激を受け、ライセンスを取ってからでも海外に出るのは遅くないと考えるようになりました。
また、もうひとつ、聖心女子学院の卒業生である国連高等難民弁務官の緒方貞子氏の講演を聞かせていただく機会があり、彼女が子育ても終えて落ち着いてから仕事復帰され、世界で多大な功績を残されていることにも強く感銘を受けました。
外で仕事をするだけが社会貢献ではなく、家で子供を育てる母、夫を支える妻の役目を果たすことも立派な社会貢献である、という教えも心に響き、育ててくれた母への尊敬の念を持つことができました。私も「結婚も子育てもしたい、でも仕事を通じて社会ともつながっていたい」という気持ちが強く、医者なら一生続けられると思ってめざしました。
現在一児の母となり、大学院で勉強しながら子育てに奮闘する毎日です。
今まで自分の思い通りに時間が使えたのが一気に子供中心の生活になり戸惑うことも多いですが、いろいろ発見の連続で、楽しみながら子供と向き合っています。受験勉強も大事ですが、環境の変化にも柔軟に対応できる力を聖心で鍛えていただいたことが今も役に立っていると感じます。まだまだ私も半人前、子供と一緒に成長していけたらと思います。
中3で行ったオーストラリア(ブリスベン)の姉妹校にて(右端)
オーストラリアからホームステイ先の姉妹が交換留学に来た際の写真(右端)
ドイツへ短期留学した際の手術室での風景(左)