12月21日
先週、小学校でも、中学校・高等学校でも、「Wishing」と呼ばれる聖心らしい行事を行い、救い主イエス・キリストのご降誕をお祝いしました。できる限り小さい単位で、ということで、小学校は高学年と低学年に分けて、中高は各学年でお祝いしました。新型コロナ感染防止のため、歌はもちろん歌えませんでした。キャロルやバザーといった公開行事も中止となりましたので、淋しいクリスマスではありましたが、児童・生徒一同心を込めて準備し、聖心らしい「Wishing」を作り上げることができたことは、本当に大きな喜びです。
しかし、考えてみれば、2000年以上前の最初のクリスマスは、華やかさや煌びやかさとはほど遠い出来事でした。当時、ベツレヘムは、人口登録のために訪れた旅人でごった返し、宿屋に泊まる場所がなかった若いマリアが、初めての子を馬小屋で産むことも、誰一人関心を示すようなできごとではなかったに違いありません。そんな普通の現実の生活の中に、神様は一人の幼子として人間の歴史の中に入ってきてくださったのです。そして、そのことに気づいたのは、社会の中で顧みられることのない素朴な羊飼いだけだったのです。そう考えると、いつもと異なると感じている今年の「Wishing」が、実は、とっても大切な経験であったことに気づかされます。
こんなに長い間救い主を待っていたのに・・・、こんな形で救い主が生まれるはずがないと、2000年以上前のユダヤの人々は考えていたのでしょう。現代の私たちも同じです。私たちを幸せにすることができるのは、これに違いないとか、あれでなければだめだとか、決めてかかっているのではないでしょうか。その自分たちで作り上げた期待がかえって本物の救いを見えにくくしてしまっているようです。新型コロナに翻弄された2020年。一刻も早くこの不安と閉塞感から抜け出したい一心の私たちが、本物の救い主を見失うことがありませんように。ひっそりと、目立たない形で、一人ひとりの現実の中に来てくださる救い主、インマヌエル(我々と共におられる神)をお迎えできるよう、目を覚ましていたいものです。もう、間近まで来ていてくださいます。
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校長より
2020.12.21
丘の学び舎 その101